キリストの聖地訪問記(2)
キリスト・イスラム・ユダヤの3宗教

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イスラエル報告記【5】

 セイント・ジョンのことは,ユダヤ人のSEと結婚した日本人女性もそう言っていました。 彼女は「有名な絵画にヨハネがイエス様に頭をもたれている」といっていとおしそうにヨハネのことに言及しました。
 セイント・ジョンは使徒の中で唯一,殉教せずにいたわけですが, 後に近年生まれ変わり,銃撃テロの被害者となって亡くなったとき, 葬儀で「永遠に神のもとに」と参列者たちが祈ったのは有名な話です。
 話は180度変わり,別の使徒だった人のことですが, エスカリオテの由来はユダヤ人男性からひょんなことで聞きました。 ヘブライ語で「イスカリオット」と発音し,ちまたで言われている地名というのでなく, 都会の近郊という意味だそうです。
 エスカリオテのユダは裏切りのユダとしてあまりにも悪名がとどろいていますが, イエスが裏切りのユダにキスを受けた場所=ゲッセマネの園=の近くの下り坂の降りきった 左側に「ユダの裏切りを繰り返さないで済みますように」と信者さんが祈る場所があり, その石はすべすべになっていていかに多くの人たちがさわってご利益を祈ったかがわかります。
 イエスはこの世の大監督,人は選手。
 逆にパウロはイエスの軍勢を迫害した敵だったのに使徒となり, またエスカリオテのユダが首つり自殺したあと, マッテヤが彼の代わりに使徒となって布教に務めたというので, キリスト教の使徒たちが,いかに敵味方くんずほぐれつの熾烈な戦いをこの地上でも挑んだかが分かり, 使徒ピエトロらの苦労が今にしてしのばれます。
 そういった原始キリスト教団のありようはイスラエルに脈々と息づいていました。

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イスラエル報告記【6】

 いうまでもなく,イスラエルには三つの宗教が混在しています。
 キリスト教の聖なる場所には自分で行きましたが, できればイスラム教の聖なる場所には自分一人の力で行きたく,あれこれ策を弄しました。
 最も行きたかった場所,「エルサレム・神殿の丘=マホメットが昇天した岩のドーム」へは, ちょっとした工夫で正面から入ることができました。
 各国大使・外交官を多数ここに案内したという人がなんとか正面玄関から岩のドームへガイドしてくれ, マホメットが昇天する前に寝ていたというベッドの間に入りましたが, イエスのその種の場所よりもはるかに寝心地のよいぽかぽかした部屋だったので, なんだかうれしくなりました。
 なぜだったのか今でも理由を考えているのですが, ユダヤ教徒たちの嘆きの壁にはパレスチナ人たちがしきりに私を案内したがりました。 結局一人で行ってみると,そこは嘆きの壁でなくて喜びの壁でした。 わたしの好きな歌,ハバナギラの歌や子供を担ぎ上げてのパレードなど, とにかく歓喜の広場という印象でしたので,これは過去にここに行ったことのある方々に印象を伺いたいものです。
 この3つの宗教,時計の文字盤でいえば10時10分30秒, 車のシンボルでいえばドイツのメルセデスベンツ,時計ですと上に来る領域があり, ベンツですと下に来る領域があり,どちらも考えてしまうところです。
 首都エルサレム,これは私が住む新潟市と同じく50万人の人口ですが, 必ずしも人口や富が3分の1ずつというのでなく宗教が3つバランス良く守り合うということができないものでしょうか。
(写真=エルサレム・神殿の丘=マホメットが昇天した岩のドーム)

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イスラエル報告記【7】

 ゴルゴダの丘までの道のり,ビアドロローサは,私にとって恐怖以外の何ものでもありませんでしたので, 今回7月20日に離日する前に,何人かの人に不安だということを話してから出発しました。 現地では日本人ガイド(国籍はイスラエル)が案内してくれましたが, とてもいい人でイエスを様の敬称で呼んでくれ,説明も日本語でしたので, とてもよく状況を理解できました。
 あそこはポイント1から14まであったかと記憶していますが,とにかく拷問から穴蔵閉じ込め, そして手足に何か所もむごい釘を打ち込むので, 幼いころに大きな釣り針を足の裏に間違って踏んでしまってのたうちまわった経験のある私には想像を絶することですが, とにかくゴルゴダの丘に至る道は「悲しみ通り」です。
 処刑地の頂点は,すっかり苦しみも悲しみも信心深い観光客か信者さんかの力で恐怖も中和され, 苦しみの一つもありませんでした。
 しかし処刑前夜のイエスが閉じ込められていたという穴蔵は小さくて暗くて, ふたにはメノコみたいな金属性のものがかぶせてあり, 見たとたんに息苦しくなっていまいました。
 この場所はガイドさんが気をきかしたのか,最初は見ることができませんでしたが, 数日後に偶然見た場所です。
 その場所はかつて恐怖に満ちていましたが,信者さんの涙だと思います, 恐怖が悲しみと中和され,もう苦しみの場所ではなくなっていました。

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イスラエル報告記【8】

 ガリラヤ湖畔で何を楽しみにしていたかというと, セイント・ピーター・フィッシュがくわえていたという銀貨でした。
 あれは2,000年前,漁師の聖ピーター(ピエトロ)がガリラヤ湖で釣りをして 銀貨をくわえていた魚を釣ったという故事にならって 命名された魚のようで,この魚は鯉に似ていて上手に料理されていると非常においしいです。
 あの神秘的な銀貨は,わたしが認識している限りは,かつて日本にあったのだけれども, ここ2年間はカナンの地のパレスチナ人のところに預けられていた, わたしはそう思っていました。
 しかし,現地へ行ってみて思ったのは,それは1シェケル硬貨だったということです(1シェケルは33円)。
 日本の感覚だと物価の違いを勘案すると100円硬貨ですか。 50円玉というより,やはり100円玉ですね。 結局「幻の銀貨は1シェケルであった」というのが私の結論です。
 ところで7月31日に帰国してから銀貨は金貨に変わったので,ご報告まで。(堤 大介)

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